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祢 津
N E T S U
東部町祢津(ねつ)
巫女(みこ)の墓
日本一の巫女村と称された祢津には「ののう小路」と呼ばれる通りがありました。
「ののう」とは歩き巫女(巡業する巫女)をさし、文化の交流の役割も果たしたと考えられます。
戒名に「巫女」が見られます。
東町の歌舞伎舞台。
文化14年(1817年)建立。コマ回し式回り舞台や「せりあげ」を持っています。
(写真右は舞台の奈落)。祢津には西宮と東町に舞台があり「舞台飾り見るなら西宮、芝居見るなら東町」と言われ
相互に競いあったそうです。
江戸時代後期の遺構が良好に保存され、当初から舞台機構を持ち、
扇状・階段状桟敷の構造や、地元に強く支えられた
農民文化を伝えているなど大変貴重です。
木像百体観音像
大日堂境内の観音堂に板東三十三番と秩父三十四番と西国三十三番の会わせて
百番の札所の観音像が一堂に祀られています。三霊場巡礼をしなくてもここで
百カ所の結願(けちがん)の功徳を得られるとされています。江戸時代末頃の作です。
石尊(せきそん)さまの納め刀
大日堂境内に厚い板を削って作った刀が保存されています。天明元年(1781)から現在におよぶ間の刀が大小150本ほどあります。相模国(さがみのくに:神奈川県)に本社がある石尊大権現(神仏分離後は阿夫利 [あふり] 神社)は農耕の神で、阿夫利 [あふり] は雨降りに通じるとされ、江戸時代に祢津では講をつくり勧請したり、本社参拝し持参した刀を拝み清めて持ち帰った。このように数が多いのは他に例をみないと言われています。
2001年4月29日東部町祢津大日堂(34年ぶりの)御開帳にて撮影
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