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平原区史(抄)にみる浅間軽量コンクリート

平原区史(抄)[平成16年刊行]の平原信号場昇格請願運動の項に「浅間軽量コンクリート」関係の記載がありますのでご紹介します。

大正10年(1921)10月10日に信越線の御代田駅と小諸駅の間に平原信号場が設置されました。ここでは列車は停まりますが、乗車はできないので、大正15年(1926)1月9日の南大井村々会に停車場設置請願の件が上程され、同日可決されました。 小林村長が鉄道大臣宛てに送った請願書には、天然物の豊富なことなどに続いて、

「シカノミナラズ築港建築等ニ大福音ト称セラルル浅間 火山灰二至リテハソノ質ノ良好ナルト、ソノ量ノ無尽蔵ナル産額 トハ永劫ノ歳月ヲ供スルモ、マタマサニソノ涯ヲ知ラザルベキモ ノ有之。シカモソノ区域ハコノ信号場ニ接続シタルヲモッテ、列 車ノママコレニ積載スルノ利便ヲ有ス。イワンヤ目下本邦火山灰 組合ト復興局ト協定シツツアル約定成立ノ暁ニハ、東都復興ノ事 業ト言イ、横浜築港事業ト言イ、ソノ搬出ノ利便二資スルコト、 ケダシ甚大ナラント存ジ候。」

と述べています。

 この請願書は翌16日、北佐久郡長市川多万吉の意見書と共に県へ上げられました。

その中に  「加えてこのごろ、東都復興事業や各港築堤事業その他の建築材料として注目されている浅間山火山灰土は、当地方にもっとも優良なものが、殆ど無尽蔵にあり、関係町村で設立された有限会社浅問軽量コンクリート材料販売利用組合が事業開始の際には、当地はその搬出上最も便利の位置にあり、現に上記組合の採集場および加工場なども付近に建設されつつある。」と書かれています。

 その後、昭和2年7月に信号場が停車場になった時に予想される事項の調査があり、村長の回答の中に

「一、主ナル発着貨物ハ、夏秋ノ甘藍ガ日ニ六トン貨車デ二〜三車、浅間山林木材ガ日ニ二〜三車、火山灰土ガ日ニ三〜四車、肥料ソノ他ノ商品ガ日ニ七〜八車ノ見込。

一、火山灰土ハ主ニ現信号場付近ガ最モ有望ナルモノニ付、営業開始ノ暁ニハコレガ利用増加トトモニ、出荷量ハ多大ナモノトナルベシ。

一、火山灰土ハ現信号場ノ地続キニ大工場建設ノ計画アリ。加工品ノ作製トトモニ土砂ニテモ発行ノ予定ナリ。」 と記されています。

 しかし、「そのうちに、肝心の火山灰土がコンクリート用には適さないことがわかってきた。」また諸般の事情からこの運動はしばらく中止になったそうです。

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