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大正10年 1921年の姿
1921A.D.
大正10年(1921) 4月3日(日)撮影です。
退店記念撮影で、退店されたのは5名でした。
左から3人の方は皆さん14歳、続いて19歳、その右隣はわたくしの祖父(義三)、曾祖父(宗三)と続きます。
右から3人は皆さん21歳、その左隣の方は22歳です。
祖父(義三)の雅号(高浜虚子先生から戴いた):秋草が わたくしのハンドル名です。
尤も 祖父は 「あきぐさ」と読んでいたそうですが、 わたくしは「あきくさ」と発音しています。
祖父が亡くなった年に、わたくしは生まれたので、昔から 祖父の生まれ代わりだと 言われてきました。でも、器量や才能はかけ離れて劣っているので、祖父もあの世で苦笑していると思います。。。
ところで看板が3枚ありますが、そのうちの真ん中のは 国分さんの看板です。(特約店)
当時この看板を戴くのは大変だったそうですが、欅で出来ていて、大変重たく、大きいです。
平成20年9月。降ろしてあったこの看板を、同じところに挙げました
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尚、右端の山崎秀雄氏は荒町で 山崎魚屋さんを開き、現在はご子息の奥様とお孫さんが継いでいらっしゃいます。
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