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樋の下 と 鍋蓋城
TOYO-NO-SITA NABEBUTAZYOU
長享元年(1487)小室氏の勢力を抑えた
大井光忠が現在の本町と市町の間に築いたのが鍋蓋城(右の写真)です。
鍋の蓋のような丸の形からこの名前があり、ここが
小諸城のはじまりと言われています。
東山道・祢津道・甲州道をおさえる交通の要衝で、稜線の台地の
突端(尾根[現本町]の末端)に築城しました。
昭和6年、中沢川の谷を埋める為に切り崩されましたが、
それまでは本町から市町へ出るのには仲町(この城の北側)
から横町をまわらねばなりませんでした。
鍋蓋城(右写真)内の矢印は用水樋です。
市町用水樋が渡樋で道上を通っていたので、この地は
『樋の下』と呼ばれていました。
今でもNTTさんの電柱(左写真)等にその面影を
残しています。
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