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小諸市 本町 鈴蘭燈 供出
昭和17年9月
供出作業の模様です。
鈴蘭燈建設時の祝売チラシ(謄写版)です。
鈴蘭燈が完成した喜びが紙面から感じられます。
まさかこの時こんな結末を迎えるとは誰が想像したでしょうか。
もう少し詳しく...
太平洋戦争の頃、鉱産資源を輸入に頼っていたので金属資源不足になり金属の回収(供出)が行われました。
当初の不要不急の金属類回収から、昭和16年(1941)金属類回収令で法的強制の回収になり、金属類の根こそぎ回収化になりました。
家 庭 鉱 脈
その後戦局のさらなる悪化にともない、“家庭鉱脈” ・ “街の鉱脈”が注目され、鍋釜や鉄びん、火箸、仏具、窓格子、タンスの取っ手、商店の看板、金杯、銀杯、指輪、ネクタイピン、そしてお寺の鐘や学校の二宮尊徳像、偉人の銅像(例:岩村田中学校の創設者佐藤寅太郎像)さらには鉄道の線路も供出されたところもありました。
昭和20年には新たにアルミ関係も対象になりさじ、洗面器、弁当箱、フォークなども回収されました。
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