戻る

幸田露伴別荘 池西庵

IKE-NISI-AN

幸田露伴別荘


 浅間山麓清水にある明治の文豪幸田露伴の別荘です。

 池の西にあったので 池西庵と名付け、大正12年から昭和12年まで避暑に来ていました。

 今は訪れる人が少なくなりましたが、清水のキャンプ場にあります。

 八代夫人のリウマチに浅間鉱泉が効くとの事や、奥様の近親者が小諸にいたので、ここに別荘を建てました。

 新築のお風呂に 東京から連れてきた大工の石崎さんが入っていたとき、グラッときたそうです。関東大震災でした。



 池西庵の近くに住んでいて「幸田のおじさん」と呼んでいる 小山伊織さんによると

 『露伴先生が 書き記している 池西庵付近の雑草も なくなったものが多い。

当時、毎日家に来てお茶を飲んでいたが、インスタントポーター(インスタントコーヒー)に山羊の乳を入れたものは 好んで飲んだ。また、塩煎餅もよく食べた』

と述懐されています。



【露伴】
 「里遠しいざ露と寝ん草まくら」にちなむものです。

 露伴は独学の人で、明治17年電信修枝学校卒業後、給費生の義務(3年)を果たすべく、1年の実習後、北海道後志国(しりべしのくに)余市に赴任します。しかし、坪内逍遙らの新文学に衝撃を受け、文学革新を抱き、転勤そして辞任を願いましたが受け入れられず、着物を売却したりして明治20年8月25日出奔します。しかし旅費は乏しく青森から郡山までは徒歩で、二本松から郡山に至る途中、疲労困憊して身を投げ出した時得た句が「里遠しいざ露と寝ん草まくら」で苦しい旅の思いがこめられています。



秋草ロゴ(小) 戻る