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浅間登山 里程標 十二丁
★★ 十二丁 生い立ち物語 ★★
十二丁は 石峠・藤塚方面の(旧)分岐点に建っていました。
昭和八年に、石峠青年會は皇太子殿下御降誕記念に道標を3個造る計画を立てました。その一つに 旧の分岐点がありました。
ところがその絶好の位置に既に丁石が建っていたので、丁石の寄進者に相談し 既設の丁石を取り去り、新たに丁石と道標を兼ねた物を新設したそうです。
このような経緯で 里程標[十二丁 大塚宗三] と 道標 [右 石峠を経て藤塚塩野追分け方面 皇太子殿下御降誕記念 昭和八年十二月二十三日 石峠青年會]が一緒になって 建っています。
尤も、現在は高速道路が開通した為 石峠方面の入り口が少し上になってしまい、
丁石も新しい道端に 移設されています。
寄進者 大塚宗三は わたくしの曾祖父です。
わたくしは この石碑を 「曾祖父が建てた」としか聞いて居ませんでしたので、なんの為の 何故建てたか?が長年の疑問でした。しかも、道標が併設されているので益々疑問が膨れるばかりでした。
たまたま 東信史学会の総会時に 故塩川勘三さんに丁石であることや、浅間山登山について教えて戴きました。
一時代前の方には 当たり前の事ですが、(たかだか ひいおじいちゃんの年代の出来事ですが)もう 分からなくなって居ることが多いですね。
その後 岡村知彦先生(「北佐久石造文化財集成」の編者)や 多くの方々のご助力を戴きながら 少しずつ分かってきました。
何か 浅間登山里程標についてご存じの方は お教え下さい。
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