わたくし達が住む小諸(小室)が歴史的に出てくるのは平安時代の末期から鎌倉時代の始め頃です。 小諸村から出たといわれる小諸(室)氏は「木曽は(中略)大室・小室を先として(中略)白鳥河原に 陣をとる」と「源平盛衰記」に登場し、義仲と頼朝との不和の折、義仲の子義高(よしたか)を人質として 送り和をつないだりしました。 義仲没後、小諸太郎光兼は頼朝の随兵をつとめたりしました。 |
小室等さん お爺さんの出身、宮城県白石では「二貫五百」といわれる小室兄弟の逸話があるそうです。 関ヶ原の合戦にてお殿様が敵にあわや首をかかれんとした時、小室兄弟が「殿、お助け申す」と 敵武将をおさえながら、「殿、ちとものは相談でござりまするが、お助け申し上げたらご褒賞はいか ほどに・・・」と褒美の交渉を始め、「五貫文目にていかがでございましょう」「承知」と助けられた。 陣中に戻り、「むしろ切腹ものだ」と怒ったお殿様を、重臣達が「武士の約束事でござるので」と 申し上げたので、「仕方ない」と言って「二人で助けたのだから一人二貫五百ずつじゃ」と言った。 以来「二貫五百」と言われるようになったそうです。 「小山邦武/小室 等/古田十一郎 「とうど塾」鼎談集 ともに無事を」 より |
小諸の「諸」地区 奈良時代の終わり霊亀元年(715)に里を郷に改め「大村郷」が形成されました。 平安時代に「大村郷」がせばめられて「大室郷」と改称されました。 その後、京都に小室の御所が建設された時、大室の大は不敬であるとして、「室」と改められたと伝えられています。 のちに「諸」となって現在に至っています。 「清水冠者義高と大室氏」 小林孝吉著 より |
小諸の「諸」地区の伝説 = 清水冠者源義高 = 木曽義仲の嫡男義高。兵六百余騎を集めて、若宮八幡宮社前において 元服の式を挙げる。以来清水の里で元服したことを以って「清水冠者源義高」 を号す。と伝えられています。 「清水冠者義高と大室氏」 小林孝吉著 より |