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西川俊彦中尉の遺書
残念なる哉(かな)、遂に敗れました
○月○日栄(はえ)ある特別攻撃隊長を命ぜられて以来○ケ月、最愛の部下五名と共に、ひたすら敵艦轟沈の日を心待ちつゝ、愉快なる訓練を續けて居りましたが、測(はか)らざりき遂に忠節を盡(つ)くすを得ざる事となって仕舞ひ(い)ました。
心中は十分御察し頂ける事と存じます。大東亜戦争必勝の私の信念は、茲(ここ)に砕かれましたが、尚(なお)私年来の世界観は絶対に誤(あやまり)無きを確信して居ります。
即ち、皇國は神国にして、世界の中心たりと謂ふ事であります。畢竟(ひっきょう=結局)私は此の戦争で日本が苦しみ苦しみ苦しみ抜いてはじめて、世界の中心たり得べき、大日本帝國となり、はじめて世界の指導者たり得べき、神人日本人が完成するものであると考へて居りましたが、茲(ここ)に到り、更に戦争だけでは尚不足である、との結論に達しました。尓後(じご)幾年か皇国は辛苦(しんく)を経る事でせう。然(しか)れ共、遂には世界の中心たり得ること必定であります。
天の與へ給う最后の試練である筈です。然し乍ら我が伝統に輝く皇軍は一時姿を消す事となりました。
我々軍人は只、天皇陛下の御命令により行動するのみです。
此處(ここ)で独断愛機を駆って太平洋に到り、はた又、浦塩(ウラジオ)に刹判(?)し敵艦を沈むるはいとも簡単であります。然し乍ら、それは只よく敵兵五〇〇〇を殺し得て我同胞一億を苦しましむるの輕舉に他なりません
然(しか)りとは謂(い)へ、愛機を焼き、此の身一つ生延るとも、生まれてより二十二年、只戦場に忠節を盡す為にのみ育って来た私にとりては、何の益無きのみか、到底忍るべからざる事であります。
部下の處置も大体定まり、もう私が居なくても間違はあるまいと存じます。
茲で私は独断、皇國の再起して遂には世界の中心たり得る事を固く信じつゝ、愛機と共に、我が浅間山項に鎮(しず)まる事に決しました。
私は朝夕浅間山頂より皇國の、郷里の勃興を静かに見守って居ります。
立上る煙を見る毎に、思い興して下さい。
嚴として山頂に愛機と共に在ります。
私の處置は褒(ほ)むべき事では有りませんが、決して皇軍将校、就中(なかんずく)、特別攻撃隊長として悪い處置ではない と信じます。
只、最后迄部下の面倒を見てやれなかったのが心残りです。
父上、母上には誠に申譯ないと存じます。何一つ孝行をして上げる事も出来ず、尚私一人先に死ぬと謂ふ事は不孝此の上なし、と存じて居ります。只、生命は
になかったものとして あきらめて下さい。
然し私は決して死にはしない心算(こころずもり)です。
皇国勃興の暁(あかつき)までは浅間山頂に嚴として活きて居ります。之だけは信じて居て下さい。
当分の間、母上一人御苦労をなされる事でせう。
私は母上を信じます。必ず此の難関を切抜けて下さい。支那にある父上の為、又皇國勃興の國柱たるべき、東海衛、孝堆、悌雄、満佳の爲に、浅間山頂より、蔭ながら御援助致します。
畏多(おそれおお)き事乍ら、上に 天皇陛下 在します國体は嚴然として揺るぎません。
申過ぎた言分ながら、之が母上の忠節を盡す最良の道と存じます。
次に東海衝、孝雄、悌雄、満佳に申し遺す。みんな俺と同じやうに残念だろう。
然し國民の進むべき道は示された。お前達は此の道を眞直に進みさへすれば良い。黙々として直ちに実行に移せ。
母上は之から苦労をなさるだらう。並大抵の御苦労ではないんだぞ。そこでお前達は自分と言ふものをすっかり忘れてしまって、一から十まで母上を助けなければいけない。分るか。その上で、将来日本を背負って起つべき、國柱としての勉強をしなければならんのだ。いゝな。その為には、孝雄以下は、よく東海ちゃんを敬って、何事につけ、ハイ、ハイと言ふ事を聞かなければいけない。そして、みんな仲良くしつかり心を結び合はせて、お母ちゃんを助け、又勉強をしなければいけない。俺の言ふ事はよく分って呉れる事と思ふ、いゝな、しっかり頼んだぞ。
それから、之からの修養に関し一言する。
l、先ず明朗活発でなければいかん
日本は負けた、然し之は天の與へ給うた試練なのだ、此の試練を経て、はじめて眞の
日本、眞の日本人が出来上るのだ、従ってお前達は,眞の日本人となって、眞の日本を
造り上げなければいけない、そして、此の世界を指導するのだ。その為の苦行なのだ。
くよくよすることは少しもない、
神國日本を信じ、御神勅を信じて明朗活発に生活せよ。
2、敬神、崇祖を忘れるな
3、しばらくの間は思想的に乱れるだらう。
自由主義、民主主義,個人主義とか、共産主義 その他いろいろのものが入って来て、
日本人も少しは,いや或は少なからず之に染まるかも知れない。然し、之は絶対に間違っ
て居る。敵は日本精神をなくする爲に、こんなものを入れて来るのであって、結局、精神的
には日本人をなくして仕舞ひ、世界から怖いものをなくさうとする肚(はら)に他ならないのだ。
日本中、これになって仕舞ったら、日本は(すで)に滅亡だ、之をお前達は嚴然として追抜
わんといかん。
みんなの苦労するのも分かる。然し頑張って呉れ。之がお前達の忠節を盡くす道だ。俺は常
に浅間山頂に居る。
元気にやれよ さようなら
皇紀二六○五年八月十七日 俊彦より
父上、母上様
東海衛、孝雄、悌雄、満佳 殿
親類御一同様に宜しく
尚御暇の折 人名簿により 先生方に御報らせ下さい。(突然の決心で書く暇がありませんでした)
原文は縦書きです。またできるだけ旧かなや旧字を使いルビを( )にふりました。
(この稿は西川さんの御遺族のお許しを得て掲載させて頂きました)
(佐久市岩村田3200−5 小林 収)
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