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なかしきりもん

中仕切門

中仕切門       中仕切門


二の門より番所の前を過ぎて、十五間三尺五寸の位置に、南丸と北丸の石壁の間に東向きに中仕切門が造営されました。三重構造の城郭で、中仕切門という城門の名称は全国でも珍しく他に京都の二条城に見られるだけとされています。

建築の技法で桃山風の様式が見られることから、大匠(たいしょう)棟梁(とうりょう)は上方から招いたものと考えられている。

仕切門は、曲輪(くるわ)と曲輪(くるわ)などの仕切や区画のつなぎの役割を果たす門です。小諸城の大手門、足柄門、三の門、御城米蔵門(ごじょうまいぐらもん)、二の門、中仕切門、黒門、不明門(あかずのもん)などの八つの城門の中でも三重構造の門は唯一です。


明治五年(1872)小諸城は東京鎮台上田分営長乃木淳蔵(のぎじゅんぞう:希典[まれすけ])に引き渡され、その後城内建物の入札払下げが行われ、旧笠原邸(現 町屋館)倉庫骨格部材として中仕切門の部材、梁、桁などが使われていました。

平成十二年に構造上の老朽化による倒壊などの危険性が指摘され倉庫解体し、部材は 町屋館休憩施設内部にて展示中。


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