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もどり橋
modori-basi
俵万智の「チョコレート革命」に
雲厚き小諸の空や捨てきれぬ思い抱えてもどり橋まで と詠われたり
木村熊二の「小諸の春」(詩)にも、詠われている「戻り橋」は古城から中棚へ
下り、体育館の前を通って行くと、その先にあります。
もどり橋のいわれは...
江戸時代 小諸藩の藩有林諏訪山から木を切るのは、近くの大久保・諏訪山
の人々でしたが、それを小諸城下へ運ぶのは少し離れた山浦の方々でした。
山浦の方々は 大久保・諏訪山から小諸城下へ
運び、帰り道にまた大久保方面をまわると かなり大回りに
なってしまいます。
そこで山浦に近いところに仮橋を架け
かなり便利になりました。その橋の事を「山浦へ戻る橋」な
ので 「もどり橋」と言ったそうです。
ここには 京都の一条戻り橋の様な「死者が一時生き返った」
と言ったいわれはないようですが、お嫁さんが戻って来ないよう
に、と言った類の事はいわれているそうです。
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