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市と住民が手をたずさえた
ま ち づ く り
大 塚 幸 一 郎
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
島崎藤村が「千曲川旅情のうた」に詠った長野県小諸市は、雄大な浅間山に抱かれ、悠然と千曲川が流れる詩情豊かな高原の城下町です。
古くから交通要衝の地として栄え、堅実剛直な小諸商人の商風が商都小諸を作り上げ、教育の振興や文化人との交流も盛んでした。
坂のまち小諸を歩けば、質素で静かな坂と石垣のたたずまいに、文人墨客の足跡やなごりが薫ります。島崎藤村・高濱虚子・臼田亜浪・若山牧水・野口雨情・伊東深水・小山敬三・・・を魅了した美しい自然。趣のある城下町の風情、小諸城址「懐古園」。酒蔵、白壁の土蔵。そんな小諸を舞台にして、自分の想いを表現する創作の場として多くの人に活用して戴きたく平成十一年、小諸市は「スケッチ文化都市」宣言をしました。
お城は自然の田切(たぎり)地形を巧みに活かした築城で、野面(のずら)積み石垣の小諸城址「懐古園」は昔日を偲ばせ、夜桜・紅葉は園内を彩ります。また島崎藤村を迎えた小諸義塾にみる教育を大事にする気風は、冬の厳しさに堪え、春一番に咲く気品の高い花で、学問を愛する「梅花」を基本理念とした「梅花教育」が小諸教育の中核として脈々と受け継がれています。
市内を通る北国街道(北国脇往還)は追分宿分去(わかさ)れで中山道と分かれ、やがて上田・長野を経て新潟へむかいます。加賀のお殿様が通ったので加賀街道とも、善光寺さんへ参詣する道なので善光寺街道とも、佐渡の金が運ばれたので御金荷(おかねに)街道とも呼ばれにぎわいがありました。
その北国街道小諸宿に小諸市本町があります。
本町には今も宿場町の持つ歴史的文化的まちなみが見られ、参勤交代の行列を見下ろさないようにと、低く抑えられた二階や、家の中に入ると天窓からの柔らかな光が天井からそそぎ、階段は側面に引き出しや引き戸がある箱階段の町屋が並ぶ懐かしい雰囲気のまちです。
かってゑびす講・祇園さん、暮れの賑わいは、道を横切るのもままならなかったくらい盛大でしたが、時代の流れは徐々に陰を落としていきました。
住民が隆盛な街だった事も忘れていた平成九年に市より歴みち事業(身近なまちづくり支援街路事業)が紹介されました。高度成長期に策定された都市計画にそって古い建物が少なくなっているなか、「歴みち」とは?と迷ったり悩んだりしましたが、平成十年「本町区まちづくり推進協議会」を設置し市からの提案に取組む事になりました。まず委員選出に工夫し、組織代表にとどまらず区民の多種多様な意見が反映されるように留意しました。各組織代表・地区の中から、年齢別の中から・婦人層の中からと委員をお願いし、近年にない大事業が始まりました。大半の方が快く受けてくれましたが、この委員選出方法はこの事業が成功した第一歩だったと感じています。
そこでこの事業を充分論議し、市もそれに熱意を持って呼応して、素人の私達に何度も説明会を開いてくれました。総会で受入れを決議してからはエネルギッシュなスピードで進む無我夢中の活動になりましたが、全会議に市が出席するなどの、一体感のある市の適切なサポートがあってここまでこぎつけることができました。平成十一年に協議会規約の目的を『良好な居住環境の形成』『商業活動の活性化による経済基盤の確立』『文化歴史的街並みの保存と活用』に設定し、3つの小委員会(交通体系・旧笠原邸活用・街並み環境整備)を設置。住民参加で、押しつけでなく官民一体で推進。行政も本町住民と同じ目線・姿勢で、住民の声を聞き反映してくれました。「北国街道ほんまち町屋館」(歴史を刻んだ商家を生かし、多目的施設として整備)の成功。そして「本町区まちづくり協定」の成立(居住者の九八%の賛同)、さらに「長野県景観形成住民協定知事認定」を受けました。市も歴史的な町なみをいかした道路整備をする為、決定済みの都市計画を変更するほどの情熱を持ってあたってくれました。また、歴史的な建物が残る北国街道については街なみ環境整備事業により建物を保存していく修理修景事業を平行して行っています。
協議会でも市誌編纂委員の先生・本町に永く住んでいる人・建築家や大学の先生方による学習会を開き、町の再発見と特徴や長所・短所をつかみ同時に町の課題も見えてきました。市でもコンサルタントの派遣、まちづくり先進地区の見学会等積極的支援をしてくれました。町内での勉強会や協議会ニュース発行によって町がまとまり、一丸となった昔の集落の力がよみがえり、町への愛着や、人のつながりと人の発掘ができ、多くの人と関わり合いが持てて視野が広がりました。以前からリックを背負いそぞろ歩きしていた方々には見えていた、自分たちの足下にある歴史文化の貴重な財産や魅力がやっと我々にも見えて来たのです。
市が住民の声を良く聞いてくれた例として「町屋館」があげられます。空き家だった商家(清水屋)を駐車場にする計画を、協議会から提案したコミュニティ施設とする案に変更してくれました。子供からお年寄りが集え、本町と「清水屋」の歴史を伝え、素晴らしい展望を活かす為、町おこしグループや大学研究室のお力添いも戴きワイワイ会議で多くの方のご意見を戴き、思い入れが一杯の「北国街道ほんまち町屋館」が完成しました。多くの方に見たり使ったりして戴く為に役員が交代で詰めて開館して、毎日出合いの素晴らしさを実感しています。
自分達のまちづくりをするのには、全国の動向を知り、先進地から学び、大学などの研究機関等との結びつきが大切ですが、市からはその方面も適宜良いアドバイスと協力を貰うことが出来ました。更に市と共同で全国の「本町」にアンケートも実施し、この調査結果をもとに平成十三年には全国本町活性化シンポジュウムを開催致しました。
今後は商業の活性化のソフト作り・にぎわいのまちづくり。また「町屋館」の運営や小諸市内の他地域のまちづくり協議会との連携・協議会の財政確立等を手がけながら全国への情報発信等を通じて暖かい交流と個性のあるにぎわいのあるまちづくりを進めていきたいと考えています。
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