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日向吉次郎翁記念碑
島崎藤村識選文
「小諸は倹約(しまつ)な處で、お茶の先生は上田へ引越し謡曲の師匠は飴菓子を賣て歩き」と藤村の一節にある“謡曲の師匠”が日向吉次郎です。
元は立派な家元だと言うことですが、小諸へ流浪して数年間は製糸工場の釜焚きなどをしていました。ある時その工場の祝宴で謡をし、漸く商家の旦那衆が弟子入りしたが、それで生計を立てるまでは行かず 普段は塩煎餅を売り歩いたり、成田山の縁日にはしんこ餅や飴などを売って暮らしていたそうです。
小諸に埋もれたまま薄幸の生涯を閉じた。その偉才を惜しむ弟子達が建立しました。(大正11年6月)
光岳寺境内にあります。
尚、光岳寺さんの山門は 小諸城足柄門です。
士族屋敷の足柄町に通じる門でした。
この門は高麗門といわれ、扉を開けた上にも屋根があります。
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