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浅間登山標柱
小諸商工会議所は、浅間山登山のまち小諸を
鉄道乗客にPRする為、昭和二年に「浅間登山標柱」を
赤坂南町と猫原に建てました。
上の記念写真は 猫原に建てられた標柱前で撮影されたものです。
2000年12月に撮影した猫原の標柱です。
上の記念写真と同じ所からは撮影出来ませんでした。
それは、そこに旧国鉄(現しなの鉄道)の線路が高架線と
なって走っているからです。
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芦原中学校PTA会長 小山きぬさんは
国鉄との対策会議で言いました。
学校環境を守る立場から現計画に対して
一歩も譲歩出来ぬことを言明する。
時はさかのぼります。
昭和41年(1966)。信越線複線化計画の測量で、中学校舎からたった12メートルの所に杭が打たれました。
騒音・視覚等の諸問題が予想され、教育環境悪化必然視され、対策委員会が発足されました。
子ども達の幸福と教育を守るため、地域社会全市民・市関係者・衆参両院議員・学校長以下全職員・PTAをあげて
国鉄に協力要請陳情を行いました。列車による教育公害はマスコミにも取り上げられ増田校長先生と
小山きぬPTA会長との対談が放送されました。
フォーン調査も何度か行われ、長野のみならず国鉄本社など他府県にも及ぶ陳情を行い、12月6日の長野
工事局への陳情の際、「60メートル後退」を確認する事が出来ました。
昭和42年4月、国鉄より高架化の具体案説明があり、昭和43年8月に複線化竣工開通し信越線で初の高架線を列車が走りました。
教育を守るという教育尊重の世論が国家機関を動かした例として他に見られないことである。梅花精神(注1)の具現ともいうべきである。と
芦原中学十周年記念誌は述べています。
(注1)梅花精神(梅花教育)とは小諸教育をさします。梅花の徽章が
冬のきびしさに堪え、さきがけて咲く気品の高い花を学校精神の象徴として
教育の中核になっています。
国鉄もフォーン測定器を貸してくれたり、遠地より責任者が評議員会などに出席して下さる等
「よくやってくれたなぁ〜」と当時の小山きぬPTA会長は述懐されています。
複線化問題が起きたのは昭和41年4月。この年の3月にわたくしは卒業したので
そんな騒動は知らずに問題の線路で通学していました。
小山きぬ第三代芦原中学校PTA会長の「学校には杭(悔い)を打たせるな」の
言葉は代々PTA関係者に受け継がれています。
小山きぬさんは電話の向こうで「(いざとなったら)むしろ旗を掲げても守るんだ」
と教えてくれました。
誰かがポツリと言った「芦中はいいよなぁ〜。応援団が一杯いるから」の言葉も
地域に愛されている学校の実感がします。
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