前のページに戻る
JR 小海線 三岡駅
土 手 物 語
JR小海線三岡駅の国道側土手に咲く桜です。
現JR小海線は最初佐久鉄道が建設しました。
この辺りは敷設時地区の賛成を得られず鉄路は村内を外れて
通ることになりました。
ところが駅が出来たところの発展を見たり、洋桃や野菜の出荷に
近くの土橋・市村では貨物扱いができない停留所だったので
駅への昇格運動が起こりました。
最初のいきさつや不景気を理由に渋っていた佐久鉄道も
地元負担で折れました。
三岡村では駅舎建設に近隣の村にも協力を求めましたが
非協力的でした。
当時、佐久鉄道は県道(現国道141号線)向きに駅舎を向ける計画でしたが
協力してくれた森山地区に背を向ける形になるのと、なんと言っても
協力してくれなかった地区へ玄関を向けるのは納得がいかなかった
地元の要請で道路と逆の方向に向った駅になりました。
駅が出来て、それまであった停留所が廃止されると
近隣の村からの乗降客が三岡駅を利用するようになり、
「おれ達の造った駅」の地元利用者と口論もでてきました。
ある日、駅を造る時に、駅の東側に山のように捨てられていた
土を三岡村の人達が崩し始めました。駅では勤労奉仕だと思って
いたら、土手を築き始め、ついに近隣の人達の通り道を
ふさいでしまいました。
そして駅昇格記念植樹の桜も、大きく根を張り崩れない
ように植えられました。
大きな土手も歩道工事のために削られ、
また、咲き誇っていた桜もすくなくなり
昔の面影は少なくなりました。
駅舎の隣には当時の司法大臣、
後の鉄道大臣の小川平吉の筆になる
「三岡停車場建設記念碑」が建てられています。
前のページに戻る